師範方との打ち合わせの時は、男女のあいだの不道徳な話が
ぽんぽん飛び出していたような記憶があるのだけど、
あまりの衝撃に笑い飛ばしてしまったためか、内容が思い出せません・・・。
サマセット・モームの短編に、『雨』という超名作があります。
何度も舞台化されたり映画にもなっているので、ご存知の方も多いと
思いますが、「道徳、不道徳ってなんだ」と強く印象に残った作品でも
あるので、あらすじを紹介したいと思います。
あるので、あらすじを紹介したいと思います。
舞台は、サモアのある島に停泊する船。
イギリス人の宣教師と乗り合わせた、医師の白人男性の目線で語られます。
宣教師は潔癖なまでの禁欲主義者で、以前赴任していた教区では、
サモアの現地人が、露出度の高い民族衣装を着てダンスするのを
『道徳的堕落』と判断し、民族衣装もダンスも禁止し、罰金を科していた
と言います。
また、宣教師の妻は、夫の権威を笠に着て、現地の人を侮蔑するような
発言を医師の妻相手に吐きまくっていました。
と言います。
また、宣教師の妻は、夫の権威を笠に着て、現地の人を侮蔑するような
発言を医師の妻相手に吐きまくっていました。
「ゾッとするような風習」
「あの村にはちゃんとした娘なんてひとりもいない」
「何よりもまずあのダンスをやめさせることだと思った」
「白人同士なら別だけど、現地人のダンスは不道徳の根源」
そこへ、同じ船の乗客で、トムソンという自由奔放な娘が現れます。
トムソンは、好きなレコードをかけて、派手なファッションに身を包む
娼婦でした。
船の中でも客をとり、ガンガン音楽をかけて享楽にふける毎日。
この娼婦の存在に業を煮やした宣教師は、彼女を「教化」しようと
躍起になりますが、彼女のほうは、敵視し、嘲り笑うばかり。
躍起になりますが、彼女のほうは、敵視し、嘲り笑うばかり。
しまいに宣教師は、トムソンを排除するべく、弱みにつけこんで、
サンフランシスコへの強制送還の手続きをとってしまいます。
慌てたトムソンは、一変して宣教師にすり寄り、レコードもやめて、
「神の話を聞きたい」と言うようになります。
「神の話を聞きたい」と言うようになります。
宣教師は、その日から、夜ごと熱心にトムソンの部屋を訪れて、
説話に励むようになりますが……
説話に励むようになりますが……
3日目の朝、浜辺にこの宣教師の遺体が打ち上げられました。
宣教師は、のどをかき切り、自殺したのでした。
娼婦トムソンと宣教師の攻防を知っていた医師は、トムソンの部屋へ
掛け込みました。
トムソンは、再びうるさいレコードをかけながら、こう怒鳴ったのでした。
「男! 男がなんだ! 豚だ! 汚らわしい豚! 豚! 豚!」
トムソンと宣教師の間にあった具体的な出来事は語られないのですが、
つまりは、禁欲主義を徹底し、他人に「道徳」を敷いてきた宣教師が、
娼婦と部屋で二人きりになったとたん、誘惑に負けてただの男になり、
情事にふけってしまい、さらにこれを悔いて自殺するという、
宣教師の二大タブーを犯してしまうという話です。
娼婦と部屋で二人きりになったとたん、誘惑に負けてただの男になり、
情事にふけってしまい、さらにこれを悔いて自殺するという、
宣教師の二大タブーを犯してしまうという話です。
これを読んだとき、男女の関係に関して「道徳」を持ち出してきびしく
取り締まる人ほど、頭のなかは不道徳な妄想が渦巻いてしょうがない
んだろうな・・・とまず思ったわたし。
そして、こんなに脆くて不埒な普通の人間でしかない夫の「権威」を
笠に着て、他人を侮蔑していた夫人の存在が本当に醜く感じ、
同時に、似たような現象は現在の社会でも、いや、自分自身にも、
ありがちなことだと感じ、胸に手をやり、本当の道徳、不道徳について
考えめぐらせたのでした。
取り締まる人ほど、頭のなかは不道徳な妄想が渦巻いてしょうがない
んだろうな・・・とまず思ったわたし。
そして、こんなに脆くて不埒な普通の人間でしかない夫の「権威」を
笠に着て、他人を侮蔑していた夫人の存在が本当に醜く感じ、
同時に、似たような現象は現在の社会でも、いや、自分自身にも、
ありがちなことだと感じ、胸に手をやり、本当の道徳、不道徳について
考えめぐらせたのでした。